さて、その歴史の中でも今回特筆したいのが石川啄木の存在。日本を代表する歌人と北村の関係は?と思うであろう。北村には石川啄木の歌を刻んだ碑がある。一見すると啄木は北村にいたのか?と思うところであるが、答えはNOだ。じゃあなんでか?
前述の北村謹さんの奥様、智恵さんが独身時代、函館の小学校で同僚だったのだそう。その時啄木は智恵さんの聡明で気高い明るさに惹かれ、歌にした。智恵さんが北村に嫁いだあとに、かの有名な歌集「一握の砂」を送ったのだそう。で、啄木の想いはどうなったのか?というと・・・。これまたあっという間に解答するが、北村で謹さんの妻として幸せな生活を送っていた智恵さんは御礼にバターを贈り、啄木はそれを受け取り哀愁の歌を詠んだということであります。ドラマにできそうなエピソード、資料館で詳しく学んでいただきたいところ。